プサンガン (Peusangan)とは、インドネシアスマトラ島北部アチェ州を流れるプサンガン川に計画されている水力発電所計画。福岡在住の私の現場時代に経験した桜にまつわる話
福岡から「プサンガンの思い出」
現場に視察に来られた日本領事館メダン事務所の方が現場宿舎の庭に作った私の庭を見て深く感心されました。
その晩、みんなで酒盛りしている時に「桜の苗木を1本だけでも届けますので育てて下さい」と話されました。
現場の所長がえらく喜ばれて、その場で私に是非お願いすると言うことになりプサンガンの”桜守”に任命されました。
何か月か後に本当に桜の苗木が送られて来ました。
一般には植物の持ち込みは出来ないそうですが、外務省の道筋があったようです。
たったの1本、1mにも満たない葉もない枝もないこれでも育つのかと思われる若木でした。
広いベースキャンプの中で場所探しから始めました。
桜と聞いてインドネシアの若者たちがカメラを持ってやって来ましたがこの若木を見て唖然としました。「花が咲くの!!!」と。
日本人は誰一人と見向きもしません。
これはえらいものを背負ってしまったと。
場所選びには随分とあちこち探しましたが、多くのインドネシアの人達に桜の花を見て貰える場所を選び、玄関口で一面芝生の国旗掲揚場所にしました。
企業者の了解を貰い、1間四方を木杭で囲みその中心に穴を掘り土の入替て肥しを混ぜ若木を植えました。
それから1年後の雨季から乾季に変わる時期(4~5月頃)のある日。
私と一緒に毎日水をやってくれている下働きの若者から芽が出ているとの知らせを受けました。
枝も葉っぱもない、生きているのか枯れてしまったのかも分からない若木の幹から枝が延びるであろうと思われるY字部分の数か所に微かに尖った芽のようなものがありました。
しかし、その芽の出た最初の年はそれ以上に大きくはなりませんでした。
それでも毎日水はやりました。
次の年も芽は出ましたが全く大きくなろうとせず同じでした。
日本に一時帰国した時に島根県雲南市大東町の同級生で樹木師になったO先生に電話をしました。
日本で育てた苗木なので日本の気候を覚えてしまっているので、インドネシアの気候に慣れるまではそんなもんだろう。とのことでした。
木は育っても花は咲かんかも知れん。とも言われました。
そして次の年の雨季から乾季に変わる頃(若木を植えて4年目)3回目の目が出た時に合せて葉っぱが数枚付きました。
しかし芽が延びて枝になることはありませんでした。
私はこの時は日本へ帰って待機状態にありましたのでインスペクターの若者からメールの便りで知りました。
それを最後にしてその若木は育つことを失ってしまいました。
それからちょうど1年半後の昨年8月にプサンガンへ行った時には跡形もなく更地になっていました。
湖底に沈む運命にあった樹齢400年の老桜を移植した実話が小説になって、水上勉によって書かれた「櫻守」の中に出てきます。
大型のブルドーザーが特製の鉄橇を引っ張り、大型クレーンが枝を吊り上げ、ダム底から高低差200mの山腹まで10日をかけて引き摺り上げた。
沢山の学者が疑問視した中、ただ一人電発の会長の移植話を引き受けた京大の竹部先生(小説の主人公)が桜一途に生きた執念で見事花を咲かせた話です。
この小説は現場に持参していました。
生き物で有りそれに心をそそぐ人間がいればこそ老木が命を繋ぎました。
プサンガンの桜守は残念ながら中途で頓挫してしまいました。
2. 東京からの返事と近況報告
こちらは、昨日今日と天気が良く会社近くの皇居お堀の桜が満開です。
今日は通勤経路を九段下までにして九段から歩いて会社まで来ました。
お堀の先に東京タワーがあり、なかなか見ごたえのある風景です。
朝、8時前でしたがカメラを抱えた人たちでいっぱいでした。
週末にかけて気温は上がると言っていますが、天気は下り坂のようです。
ここ2~3日がピークでしょう。
しかし、花弁がお堀一面を埋め尽くす光景も中々のもですから、まだまだ期待できます。
皇居の桜情報でした。
写真をご覧ください。
3. 福岡から
東京の様子をありがとうございました。
天皇陛下皇后陛下がお二人連れだって皇居の外に出られ、一般の人達と一緒になって花見を散策されている姿が新聞にありました。
私は昨年東京でお世話になった時に、千鳥ヶ淵を歩きました。天皇皇后陛下もそのような処をお歩きになったのだなーと感激しました。
昨日の日経朝刊の春秋蘭に、主役のソメイヨシノは江戸末期に人工的に作られ、明治に入って東京・染井の植木店が広めたという。・・・・・・・とありました。
私は若い頃に天王山トンネル(京都府と大阪府の府境に位置する名神高速道路で最長トンネル)の仕事をしました。
3年いましたが、最初の1年間は殆ど毎週日曜日に京都へ行きました。
観光寺として開放されているお寺が300箇所くらいあると言われていました。
その20%ぐらい行きました。
写真帳には寺ごとに整理して拝観者のみにしか売らない国宝などの絵葉書も一緒に整理しました。
その写真には桜も沢山写っています。
竹部先生(小説の主人 公)による堕落した桜をすばらしいと思って見ていたことが分かりました。
私の生まれ故郷で父や祖父が山でポツンポツンと自生している桜の下刈りをして大事にしていた桜が本当の桜であったと・・・・・・。
誤解のないように蛇足ですが、後の2年間は土日もなく一心不乱に現場を叩き上げました。